都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

TSUNAMI

夜中に突然携帯電話が警告音を高らかに鳴り出しました。エリアメールだとして、津波警報が発令されたというのです。

少し遅れて、市役所からの災害無線の広報アナウンスが。

一気に緊張感が走りました。

地震の予兆がなく、突然のアラームは経験したことがないので、ウロウロするばかりです。

結局、津波は高さ40センチだと。発令されてから到達するまでの時間的な乖離が、恐怖を煽ります。怖い。

Googleマップで我が家の標高を調べたところ、僅か5メートルでした。建物は三階なので、そこそこ耐えられるけど、駐車場はリスクが大きい。

もうちょっと高いところへの新たな物件探しを考えています。

軽石も流れてくるだろうし、見つめ合うと素直にお喋りできないのであります。

再会

小3のとき、父親が会社の分譲地として案内された横浜の上大岡というところに家を買い、それまで母方の祖父母と暮らしていた三鷹から引っ越すことになりました。

今でこそ、上大岡はベッドタウンとして発展し、そこらじゅうが隈なく開けておりますが、当時は開発途上にあり、私の家の住所は南区笹下町字(あざ)権現堂谷という表示で、どれだけ田舎やねんという感じでした。近くには、養鶏場ありの肥溜めありの、街の匂いからして違う。最寄りの小学校へは、片道40分かけて通学していたのも嘘みたいな話です。横浜ですよ、これ。

当時は、開発から取り残された手付かずの森で昆虫採集もしたし、山の中の土地を勝手に掘って、秘密基地ごっこもしてました。

今から55年前。夢のような出来事です。

 

『再会』(横関大著・講談社)は、神奈川県北部の架空都市(三ツ葉市)を舞台に繰り広げられます。

横浜でも港北や戸塚のあたりは、最近でこそスマートな都市化が進んでおりますが、ちょっと前までは畑が目立っており、上大岡よりも20年以上遅れをとっていた、そんな感じです。

で、小学校の剣道教室で友情を深めた男女四人の幼馴染が、殺人事件に遭遇して現場から凶器を持ち去り、それをタイムカプセルとして埋めておくことから展開していきます。子供というのは、意外なほどに大人の事情を察知して、それに流されざるを得ない心理を汲み取ろうとする。純情すぎるような表現が、そこかしこにあって、甘酸っぱいものをたくさん感じました。仕事・お金・友情・恋人・家族の優先順位で迷わないのが、子供たる所以のような気がします。

この小説は、第56回江戸川乱歩賞受賞作ですが、ミステリーと言うよりも青春小説寄りのように思いました。

作者は文章表現が巧みで、メインの4人については、しっかり描かれていたものの、それ以外の人物描写が今ひとつで、その落差が惜しいように感じています。88点

いけない

ミステリーのジャンルに叙述トリックというのがあります。

これは、読書の先入観を利用して誤った解釈に導いていく手法で、有名なのがミステリーの女王とされるアガサクリスティの『アクロイド殺し』です。ネタバレになってしまうけど、犯人はストーリーの語り手である作者だったという話。

本格的な推理ファンからすれば、肩透かしを食った感じで、モヤッとします。闘った相手は、読者なんかい!

これは、横綱が張り手を使っても良いのかという論争にも似て、意見の別れるところではありますが、そういうのも含めて理解できるようになれば、楽しみの幅が広がるとも言えるでしょう。

 

このジャンルの第一人者が道尾秀介です。

終盤における大ドンデン返しに拘りを見せ、サイコパス・ホラーがお手のもの。イヤミスと言われる後味の悪さが残る作品も多く、嫌いだと思う読者も少なくないと思います。クセがすごいんです。

正月早々、手にしてしまったのが『いけない』(文藝春秋)です。

コシマキのコピーに「王様のブランチで大反響」と書かれていたのに釣られたのですが、これがもう…意味がよくわかりません。

読み終えて呆然となり、ネット検索に書かれた解説をチェックしても、謎が深まるばかり。いや、ネタバレ解説している人も、多分こういうことだろうとハッキリせず、モヤモヤが広がります。

本当のところは、作者が開示しなければわからないんだけど、それじゃ手品でネタ明かしをするようなもの。

そのまま放っておくのもまた、イヤミスってことらしい。

だけど…

この不完全燃焼は、身体に良くありません。

すっごく賢い人には、メチャクチャ面白いかもしれませんが、う〜ん、私は30点。ストレスが溜まりました。いけない。

 

インビジブルレイン

私の祖父は新聞社勤務であり、父親は放送局でスポーツアナをやっていました。

日曜日が休みだということもなく、家に資料を持ち込んで目を通すのが当たり前。昼まで寝ている時もあり、家族と一緒に食事を摂ることも、ほとんどありませんでした。

だから、普通の職業観が育っておらず、組織から少し離れた一匹狼的な考えが知らず知らずのうちに芽生えてしまったようです。

縦割りの中で命令に従って動くというよりも、自分で考えて自由に動くのを良しとして、既存のルールが必ずしも正しくないのではと疑う。

こういう人は、サラリーマン社会に向いていません。

学卒で入社した保険会社は、毎年二桁の急成長の中で組織が追いつかず、ルールを守るというよりも作る側にいたので伸び伸びできていたものの、会社が大きくなって、そこそこ世間から認められ出すと、規律が重んじられるようになり、居場所を失いました。

本当は、やりたかったことがたくさんあったのですが「理想を掲げて実現が難しい提案を打ち上げると、上からのプレッシャーがかかり、部下の負担が大きすぎる」と必死で懐柔を図る上司とぶつかって、辞めることになります。

このあたりの話は、結構ドラマチックなので、別の機会に書こうと思います。

 

これ違うよなぁと思ったら止められない私は、フィクションの世界にそういう人を求めてしまいます。

上司の指示通りに動こうとしない警察官は、ヒーローそのもの。何と言っても警察組織ですから。

縦割りの権化である警察の中で、正義を貫こうとする姿に毎回、心がひりひりします。

今回のご紹介は、その中の一つ『インビジブルレイン』(誉田哲也著・光文社文庫)です。

主人公は、長身でクールビューティーの姫川玲子主任。仲間からは「姫」と呼ばれています。

男社会の中で、気丈にSのように振る舞っているけど、実はMっ気が強い性格は、経営者に多く見られるパターンであり、また美人さんにもこの手が多い。群がってくる男たちを排除する手段として有効であるからで、ヤクザはその心理を熟知しており、褒め上げつつも罵倒する二面性を打ち出しながら、メロメロにさせていくのが常套手段です。

ストーリーの中では、このことがテーマであるかのように、見事に気持ちの綾(あや)を切なく描き切っておりました。

最終盤がちょっとバタバタしたように思うけど、87点。人物のキャラが際立っているので、シリーズ全体をオススメです。

 

アフリカでがん保険が売れない理由

日本にがん保険が上陸したのは昭和49年のことで、販売元であるアメリカンファミリー生命保険(現在のアフラック)は開始当初、7名の社員でスタートしました。

毎年、がん死亡者が漸増し、昭和56年に死因のトップになったこともあって、時流に乗りながら爆発的な成長を遂げたのは、ご存じの通りです。

販売後しばらくは、競合他社の存在が許されず、行政の指導に守られたお陰で市場の8割以上を占め、アヒルのキャラクターと共に「がん保険」と言えばアフラックとのイメージ作りに成功した同社は、他国への展開も視野に入れていたものの、なかなかうまくいきませんでした。

バンコクに派遣された日本人社員がいたことも思い出されます。

保険というのは、行政が絡む問題で、外資の金融機関が商売するためには、ハードルが高く、簡単ではないということです。

それにしても、だったらその国の資本で新たに立ち上げるという発想もありそうなものですが、もう一つ大きな問題があります。

それは、がんという病気は老人病で、若い人がほとんど罹らない点にあります。

平均寿命が60歳に満たないような国は、病気どころじゃなくて、他に心配なことがたくさんあるってこと。

売れない漫才師が病気に備えての保険なんか入らないような、そんな感じです。

 

オミクロン発祥の地とされるアフリカでは、大半がワクチン投与されていないので感染爆発が起こるなどと言われておりましたが、現実には何事もなかったように収まっています。

それは、この病気が感染力は強いものの弱毒化していて、少なくとも若い層は重症化しないことの証。

ほとんど何も手を打っていないアフリカ諸国では、感染者が蔓延したことで、免疫が備わった。つまり、ワクチンを射ったのと同じ効果があったと考えられるのです。

これをどう捉えるのか?

岸田首相は、13歳以下の児童にも投与を奨めるようなことを言っておりますが、在庫一掃セールに加担しているようにしか見えません。聞く力の副反応は判断しないことのようです。

作家の二宮清純氏が「日本人はルールを変えられないと思い込んでいる。だから、ルールを作れない」と言っていたのを思い出しました。

ミステリーと言う勿れ

今、気になっている女優が三人います。

それは、黒木華岸井ゆきの伊藤沙莉です。

美人は三日で飽きると言いますが、この三人には飽きることがありません。

主役でも脇役でもスルッと入り込むことができるのは、演技力が高いからと言っていいでしょう。

いや、顔だって普通にいい。リアリティがあります。

 

で、月曜から始まった連ドラが伊藤沙莉が出演する『ミステリーと言う勿れ』がメチャクチャ面白いです。

コミック誌が原作だそうで、『名探偵コナン』を思わせるチャチな筋立てではあるものの、日常に起こり得るシチュエーションを切り取って、そこに鋭く考察を入れていく洗練された大喜利っぽい会話劇が斬新で、脚本(相沢友子)と演出(松山博昭)と役者(菅田将暉)のピースがピタッとハマっておりました。

出演者を絞り込んで、誇張されたキャラを際立たせる手法は、『古畑任三郎』を思い起こさせます。

新感覚ミステリーとは、よく言ったものです。

次回は、バスジャックが舞台。取調室に続いて、またまた狭い空間で勝負するようで、人物や場面が次々に展開していかないのは、狙っていないだろうけど高齢者向きでもあります。楽しみが増えました。

どんど焼き

お正月の行事が段々と形骸化していく中で、地元沼津では狩野川河川敷で「どんど焼き」というイベントが行われました。

これは、クリスマスツリーのような櫓を組んで、そこに正月のしめ飾りや書初めを持ち寄って、燃やすという伝統行事。

地域の老人会が主体となって仕切り、集まった子どもたちに豚汁や焼き芋を振る舞いながら、無病息災を願うという他愛のないものです。

どうってことないんだけど、のんびりとほのぼのした時間が過ぎていきます。

老人会の面々は、案外自分と同世代なのかも。

そういうのを見るにつけ、自分は地域貢献から遠い一家団欒の敵だなぁと背中を丸めるのでありました。