たとえば、誰が見ても可愛い女の子がいたとします。
そんな子は、小さなころから、ちょっとした特別扱いを受けてきました。
可愛いとかキレいとか美人だとか、そういう言葉にどんどん慣れて、リアクションのスキルも上がっていきます。
先生をはじめ、男たちがチヤホヤします。
それを何でもないことのように受け止める。知っているのです。世の中が、公平でないことを。
一方で、造作的に幾分の不利を抱えた女性は、この扱いに対して敏感です。
特に、それが女姉妹だったりすると、余計にそうなる。人は平等に扱われるべきだと。
学生時代、先生にチクる生徒は、決まって造作不利の人でした。美人はチクりません。だって、世の中が不公平であることを体感しているから。
このタイプは、学校を卒業してからも、飲食店なんかで本領を発揮します。平等に扱えと。
たとえば、オーダー順を気にします。盛り付けなんかも気になる。店員がお客さんに微笑んだ回数も数えるかもしれない。
そこで、サービスの提供側が、余計な恨みを買いたくないと考えたら、何もしないのが一番いいと考えるようになります。
学校の先生なんかは、必要以上にそう考えます。父兄から苦情が来ないように、特定の生徒を特別扱いしない。
なんだかなぁ、何もしないのが一番いいだなんて。
しつこいようですが、世の中は平等でないからこそ楽しいのです。
そこに文句があるなら、贔屓してもらえるような努力をすべきです。美人になればいい。
別に自民党支持じゃないけど、格差はあった方がいいと圧倒的にそう思っています。