アフラックが日本へ進出してきたのは、昭和49年のことでした。
生命保険というのは認可事業なので、手を挙げれば誰でもできるわけでもなく、それこそ政治的な根回しを入念に行いながら、おっかなびっくりの船出です。
創業当初、社員はたったの7人です。全国規模で不特定多数の加入者を集めるのは難しい。そこで、生命保険で初めての仕組み、代理店制度を採り入れることにしました。
損保では当たり前の代理店を生保業界が採用していなかったのは何故か?
それは、保険料が高額であることと、商品の構造が複雑なため、説明が簡単でないところにありました。なので、生保各社はGNPと言われる義理人情プレゼント作戦で、戦争未亡人を主力としたおばちゃんたちが、営業戦力だったのです。戸別訪問を繰り返す人海戦術は、コストがかかります。だから、マージンが少額、つまり安い保険料のものは売れない、売らなかったということです。
がん保険は、限られた病気の入院保障なので、際立って保険料が安い。しかも、商品構造が単純なので、専業でない代理店にもすぐに理解できました。売る側に簡単ということは、お客さんにも分かりやすいってことです。爆発的に売れました。
アフラックの代理店戦略もひと味違っていました。
地方展開するにあたり、銀行とマスコミの子会社に目を付けたのです。
当時、成熟した損保業界は、企業の子会社を片っ端から代理店にしておりました。ところが、生保の代理店を兼業しているところは皆無。だから、入れ食いです。生損保の兼業は相性が良く、業務内容が似通っているため、大きな体制変更の必要もないので当たり前のように、仲間入りします。
知名度の低い外資系保険会社は、銀行によって信用を、マスメディアを利用して広報手段を手に入れたのです。
(つづく)