『コンバット』を観ていると、戦闘シーン以外の多くでは,やたらとタバコを吸っています。
戦時下におけるストレスから現実逃避を図るようなそれは,ヤクザ映画にも共通していて,非喫煙者の私をも納得させる場面です。
今やアスリートの世界では,常識となった嫌煙運動ですが,それでもなお,プロ野球界では残っています,喫煙習慣。
思春期における寮生活は,毎日が修学旅行みたいな高揚感から,日常がルールで縛りつけられるあまり,その反動としての一服が至福の時間となるのです。監督自身が根っからの喫煙者であり、その後ろめたさから注意もできず,逆に,ポケットからタバコを取り出すと,部員がライターを差し出すなどは,任侠の世界に通じていたりします。止められまへんな。
それは,何もしないことの罪悪感の埋め合わせのようなもので,張り込みする刑事がタバコを吸わないと,間が持たないってこと。
このことを埋めるように登場したのが携帯電話でして,そのうち小説の中でも,そんな表現が主流になるかもしれません。
「立花はカバンからスマホを取り出し,持久戦に備えながら,ひたすら待ち続けた」なんてね。
筒井康隆氏は,嫌煙運動を揶揄して『最後の喫煙者』という短編の中で,世間から追い詰められるヘビースモーカーの苦悩を描きました。これが20年くらい前の話。さすがですね。未来を予見するSF作家の卓見です。
どうなんでしょうね,正論を振りかざしてダメだダメだとする風潮は。
決して良くはないけど,一定の条件を満たせば許すという度量が必要だと思うんですよ,なんちゃってアウトローとしては。
そうでないと、そのうちアルコールも良くないなんて,言い出すと思う。やだねぇ,そうなったら。