都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

江夏の21球

あの江夏豊は、若手で生きのいい打者が出てきたら、試合前に呼んで、知っているにも関わらず出身地を尋ねたと言います。

そのとき胸を張って目を逸らさずに「はい、鹿児島です」と返してくる選手には、フルカウントからストライクを投げなかったそうです。何でも振ってくるから。打ちたがるから。反対に下を向いてボソッと「鹿児島です」と答える選手には、ボールを投げず、ストライク勝負でした。相手の性格を盗むというのは野球の技術の一部だと考えていたのです。野村監督の教えだったかもしれませんね。

 

日本シリーズの熱戦が続いておりますが、強烈な印象として残っているのは今から43年前、1979年の広島対近鉄における江夏の21球です。

9回裏一死満塁のとき、スクイズを見破った江夏が、カーブの握りのまま、ウエストボールを投げて外した名場面は、伝説としてドキュメンタリー番組やスポーツエッセイの中に、しっかりと残されています。

伏線は、たくさんありました。

・21球と言うが、それは9回に投げた球数であって、江夏は7回から登板していた。

近鉄の西本監督は、大毎オリオンズ監督時代、日本シリーズでの満塁におけるスクイズ策が失敗したことがオーナーの逆鱗に触れ、解任された過去があった。

・無死一塁で代走に出た藤瀬史郎の盗塁は、打者アーノルドのサイン見逃しで、実際はエンドランだった。

・後に西本監督は、あの場面で盗塁のサインを出す監督はいないと言っている。

・藤瀬はエンドランのつもりなので、スタートが遅れていたが、捕手の水沼が慌てたのとショートの高橋慶彦が緊張していたこともあり、送球を後逸して無死三塁となってしまった。

・次打者アーノルドへは際どいところへ投げて、四球となってしまう。そこで、逆転のランナーに吹石(福山雅治の義父)が告げられる。

・続く無死一、三塁のピンチでブルペンに北別府と池谷が入るのを横目で見て、古葉監督は自分を信頼していないのかとイラついていた。

・古葉監督は、同点とされた後の延長戦を考えてのものだった。

一塁手の衣笠は、三塁側ブルペンが見えるので、イライラしている江夏に気付き、マウンドへなだめに行った。

・無死満塁となって、代打で登場したのは前年のパ・リーグ首位打者である佐々木恭介だった。

・佐々木の1ー1後の三塁線の打球は、ファウルと判定されたが、カープ三塁手三村の告白では、微かだがグラブに触れていてヒットだった。

・このとき、サードが衣笠だったら、三村より身長が高い分、打球に届いてインプレーとなったかもしれない。

・西本監督や仰木三塁コーチが全く抗議しなかったのは、前年のシリーズで阪急の上田監督が一時間近い抗議を続けたのが問題となったのが頭をかすめたから。

・佐々木が凡退した後、打席に立った石渡は、カープ水沼捕手の中央大学における2年後輩で、学生寮の部屋が同室だった。緊張している様子から、水沼にスクイズすることを読み取られていた。水沼は「いつ、やってくるんだ」と囁きかけ、プレッシャーを与えてもいた。

・江夏は、三塁ベースコーチだった仰木とはプライベートでも付き合いがあったが、仰木が江夏と目を合わせようとしないことから、スクイズありを確信していた。

・バッテリー共にスクイズを確信していたが、もしタイムを取ったら作戦が変わるかもと考え、あえて流れを止めなかった。

 

江夏のスクイズ外しについては、外した説とすっぽ抜けた説の両方がありますが、真相は定かではありません。

だけど、野球にはドラマがある。驚くほどに、神経細やかである。そう思いませんか?