都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

人心掌握術

このブログでは、栗山英樹監督を何度も取り上げておりますが、知れば知るほどスゴいと改めて思います。

それは、リーダーとしてです。

改めて経歴を振り返ってみると、大学時代は二刀流であったことに気づきます。

投手としては4年間で25勝8敗、投げないときは野手として打率.395をマークしました。身長174センチ、体重72キロの小柄な体型でしたが、50メートル6秒フラットの俊足と遠投120メートルの強肩の持ち主。しかしながら、注目度の低い東京新大学リーグ所属だったため、ドラフトにかかることはありませんでした。東京学芸大学教育学部では教員免許を取得、朝日生命への就職内定も決まっていましたが、野球への想いを捨てきれず、知り合いを介して西武とヤクルトの入団テストを受け、ヤクルトの合格通知を勝ち取りました。

プロ入り後、内野から外野へとコンバート。先輩からの助言があってスイッチヒッターに転向し、3年めに一番ライトのレギュラーとして、3割をマークしました。6年めには、持病のメニエール病と戦いながら、初の規定打席到達。ゴールデングラブ賞も獲得しています。

しかし、現役で輝いたのはここまで。病に勝てず、プロ生活7年、29歳で引退しました。

引退後は、テレビ朝日のキャスターを務め、母校で教鞭をとったり、メジャーリーグを取材したりと見聞と人脈とを拡げていきます。
あらゆることを貪欲に学ぶその姿勢は、やがて日本ハムからの監督オファーへと繋がっていきました。現役時代にさほど大きな実績のない、コーチ経験ゼロの新監督は、合計10シーズンに渡り指揮を執ったのです。

二刀流、テスト入団、コンバート、スイッチヒッターへの取組み、二軍生活、病気との闘い、人材交流、教えるということ、育てること、我慢すること…全てが繋がっていったように思います。

 

ところで、大学の卒論テーマは「高校野球に於けるカウント1-3からのバッティング」で、その結論は「塁に出るためには待球がベスト。ヒットの確率より5倍以上も四球の方がいい」でした。この野球観は、侍ジャパンに通じるものがあります。これも面白い。

そして、学ぶことを怠らない大学教授は、言葉に力があります。

 

「みんな手を取り合って仲良くできるために、いろいろなところで野球をやっている人たちが(代表に)集まることに、すごく意味がある。今の時代に、まだ戦争が起こる。もともと人はみんな一つだったはず。ヌートバー選手のように日本に来れば、野球の幅が広がる。スポーツは国境を越える。子どもの時に一緒に遊んでいた人と、戦争する気なんか絶対に起こらないと、僕は思っている」


そうだよなぁ。そうですよね。

尊敬できるリーダーのもと、チームはまとまるのであります。