「大人になったら、プロ野球の監督になりたい」というのが少年の頃の夢でした。
選手じゃなくて監督がいいと考えるのは変わってますが、下手でしたからね。するの。
だけど、スポーツアナだった父親に関係者だということで(緩い時代の話)しょっちゅう広島市民球場に連れて行かれた影響で、野球を遠巻きに見つめるセンスはかなり磨かれていたと思います。自分は出来なくても、人にやらせるのは出来るかも?
会社勤めを始めてから、野球部を創設し、道具運びという重職(?)に耐え、誰もやりたがらない監督の座を手に入れました。
草野球でも監督になると、ほとんど試合に出られないんです。で、大会ルールにより自分以外に最低9人を集めなきゃならない(10人以上いないと試合が成立しない)。頼み込んで休日に呼んでいるから、自分の出番なんかない。試合後の反省会では、多めに払わなきゃならない。
普通は、やりたがらないんですよ、監督。
普通じゃない私は、喜んで10年間やってました、憧れの監督(ただし草野球)。
プロ野球の監督は、今のところではありますが、必ず選手経験者がその職に就いています。
そして、その椅子は12個しかなく、そう簡単になれるものではありません。
平均の在任期間はおおよそ3年なので、毎年の同期入団からは4人弱しかなれないという狭き門なのです。
いっとき、外国人監督がブームになっていましたが、そんなことになったらもっと大変。
つまり、多くの選手が憧れるゴールが監督の座なのです。請われて断る人は、あまりいないでしょう。もっとも、そう簡単にオファーされないという現実でもあります。
ロッテオリオンズの吉井理人監督も、球団からの要請には二つ返事であったようです。
現役時代はメジャーでも活躍し、引退後は大学院で学んで見識を広め、コーチとなっても手腕を発揮。努力に結果が着実に結びついていく野球人生でした。
彼が、数年前に書き上げた著書が『最高のコーチは、教えない』(ディスカバー携書)です。ここでは、コーチングのテクニックに言及しており、教え込むのではなくて、自分の頭で考えさせるように質問することこそがコーチの仕事だと説いています。
野球に限らずスポーツの世界では、この考え方が潮流となっており、教えるためには技術が必要だということが共通認識となっています。
実際には、難しいんです。特に野球の選手は、学生時代に軍隊式で鍛えられているので、考える力が弱い人が多い。素直にも程があるという。
だからこそ、気づきを与えるのがコーチングだってことなんだけど、現場を任されているコーチの多くはもともと考える習慣がないもんだから、笛を吹いても踊らないことに愕然としたりします。
彼の最新の著書『聴く監督』(KADOKAWA)は、そういう状況にイラつきながら、書いたと思いますが、どうやらコーチの立場と監督の立場の違いが整理できていないようで、タイトルとは真逆の内容になっていました。押し付ける監督。
いくらカウントを稼げるからといって、YouTubeで愛の告白をする人はいません。
部下を叱責する上司なんてのもいないでしょう。本気の夫婦喧嘩もないし、リアルな家庭訪問みたいな会話も窺い知ることはないと思います。
つまり、本音のところで喋っている内容は、他人に聞かせるものではないし、当事者以外に聞かれたら気まずい、そういうものです。
だから、プロ野球の監督が現職のうちに、所属するチームの選手やコーチを語るってのは、やらない方がいい。
自分が全体ミーティングでキレたのは演技だったなんて書いているうちは、選手に信用されないでしょう。ガッカリです。