都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

囲碁将棋

ひと昔前、囲碁と将棋には、かなりの格差がありました。

囲碁が政財界のトップが好む趣味であるのに対し、将棋は庶民にさえ支持されているものの、品がないので上流階級の人たちはルールを知りながらも社交の場ではやらない。その一方で、縁台囲碁なんて聞いたことないでしょう? 競技人口では、将棋の方が多いんだけど、格式は明らかに囲碁の方が上でした。

江戸時代に遡ると、お城将棋などと言って、名人は茶道みたいに幕府の庇護を受けていたんですけど、おそらくは昭和初期、坂田三吉という異端の棋士がイメージを変えたんだと思います。吹けば飛ぶだなんて歌った村田英雄もちょっと悪い。

さらにはその後を引き継いだような、升田幸三という天才がいけなかった。外見が全然ダメな上に、どぶろっくみたいな下ネタを公然の席で言うし、タバコを一日300本(ホントの話)というのもねぇ。一気に、下に見られるようになったのです。

 

その認識をひっくり返したのが、羽生善治の登場でした。

タイトルを総なめした彼は、とびきり美しい女優さんを伴侶とし、アカデミックな学者さんとも対等に議論する。

これが、周囲のライバルたちにも影響を与え、いつの間にかその存在において、囲碁界を席巻するようになりました。

ワイドショーでは連日、藤井聡太を取り上げるものの、同じように対局が行われている囲碁についての情報はなく、誰が第一人者かも分かりません。変われば変わるものです。

今となっては、タイトル戦で着物を着用するってことも、世界に目を向けて背広で対局する囲碁とは、文化としての歴史的な重みや格式、神秘性に差が出てしまったように感じています。

こうした職業としてのステイタスの変化は、お笑い芸人と似ているように思ったりもします。

私が少年のころ、作文に将来の夢は漫才師になることだと書いて、母親に怒られたもんですが、今だったら、満更でもないような気がします。どうでしょう?

そういえば、いますね、囲碁将棋。だけど、これも将棋囲碁じゃないんだなぁ。何となく悔しい。