都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

シビル・ウォー

ランボー』なんか典型だけど、戦争がテーマのアメリカ映画では、人が簡単に殺されていきます。

監督の意図としては、残虐性や深い悲しみを描くことで、反戦のメッセージを盛り込んだつもりでしょうけど、どうなんでしょうね?
むしろ、やらなければやられるという正当防衛的な意識を植え付けているようでもあり、倫理観のハードルを下げているように思います。

もしかして当たったらゴメンねみたいな砲撃は、もっとタチが悪い。被害者の顔が全く見えないことで、罪悪感がうーんと薄れるからです。こうなると、もはやゲーム感覚みたいになってしまいます。

アメリカが戦争に肯定的なのは、戦火が自国に及ばないからでありましょう。

広島や長崎の原爆投下は、遠く離れた場所の出来事だから容認できる。ベトナムや中東への軍事介入もそう。

そのためにも、防衛ラインを大きく引いて、絶対に近寄らせないようにしています。キューバ危機みたいなことは未然に防いでおかねばなりません。それは、中国やロシアにしても同じ。自分がやろうとしていることは、相手もそう考えるに違いないってことです。

 

久しぶりの洋画の話題作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』を観てきました。

もし、アメリカ国内を二分する言論がエスカレートして内乱が起きたらどうなるのかをテーマに、アレックス・ガーランド監督が内戦の勃発により国内が戦場と化した近未来を舞台として、その最前線を取材するジャーナリストたちを主人公で描く反戦映画です。てか、反トランプ映画。

印象的だったのは、ジャーナリストたちが道中で立ち寄った異様にのどかな街に、内戦に全く無関心な住民が、なるべく関わらないようにしていると言い切ったシーンです。国論を二分するような話もよくよく見れば三分だってこと。なるほど、支持するものがないっていうのも、一つの意見ではありました。日本人の多くはむしろ、そんな立ち位置であるように思います。

この作品も銃撃音が凄くて映画館向きでありました。ただ、劇中の音楽には違和感だらけだったけど、どうなんでしょう?

それにしても、戦場カメラマン。渡部陽一が、あんな風でいるのは、敵意がないことについての精一杯の表現であるということで納得しました。

素早い身のこなしだと、間違えられますからね。敵を欺くには、まず味方からなのであります。