私は作家の書いたエッセイを読むのが好物です。
それは、それぞれの視点からのものの見方や感じ方を知ることができるから。自分の生きてきた経験なんて、ごくごく狭い世界での出来事なので、知らないことの方が圧倒的に多い。それを補うのが読書であり、いろんな人生観を覗き見ることができるんです。
特に女流作家には、ハッとさせられます。
『よなかの散歩』(新潮文庫)は、『八日目の蝉』や『紙の月』が代表作である角田光代のエッセイ集です。
どこか屈折した女性心理を描いた小説が多いので、ジメジメした内容を想像していたのですが、意外にそうでもありませんでした。
「女子校に在籍したことがある人は、濃淡にかかわらず女子校的部分を持っている」という書き出しで、女子校的なものを「男性を別の生物とみなしており、根本的理解はあり得ないと無意識に思っている」「理想の男性像があり、そんな男はいねえよと思いつつも、その理想を捨てられない」「悪口で盛り上がるすべを知っており、全く悪口を言わない人を友人と見做さない」「写真を撮るとき、おすまし顔が出来ず、わざわざ変な顔、変なポーズをとる」「人間関係のバランスに妙に敏感」と定義しているのが大変面白い。
私は保険会社で女性だらけの中で仕事をしていたので、このへんのところがよく分かります。これって、男性の兄弟がいない場合にも当てはまるところが多く、特に人間関係のバランスってとこ、全くもって同感です。男性の誰もがみんな清潔感が漂っているわけがなく、思いやりに溢れているなんてこともありません。
その逆もあります。男子校で育ち、理系の大学へ進んだりすると、理想の女性像が膨らむばかりでどう接していいかが分からず臆病になる。
国が少子化に歯止めをかけるなら、まず、男女共学を推進するのが金がかからなくて良いと思ったりするのです。
まぁ、どうでもいいような話ではあるけれど、自分の価値観に幅を持たせるならば、エッセイは安上がりな教科書なのであります。