先日の『そこまで言って委員会NP』は「メディアスキャンダルとフェミニズム」がテーマで、性暴力事件の背景に何があるかについて、徹底討論しておりました。
その中で興味深かったのは、パネラーの竹田恒泰がトランプ大統領がLBGTなどにおける多様性政策を撤廃したことに対し、支持する姿勢を示したことです。これについて、マクドナルドを始めとする大手企業各社が次々に賛同している状況が不思議でしょうがなかったのですが、竹田氏は行き過ぎた配慮によって差別が助長されたからだと一刀両断したのです。つまり、少数である弱者だという理由で優遇措置を取り続けると、今度は黒人枠だとか女性枠などによって、逆差別を受ける側からの不満が噴出するという図式です。
実際に、企業などで女性が抜擢されたりすると、あいつはオンナだから特別扱いされたのに過ぎないと低く見られ、お互いにイヤな思いをする事例は枚挙にいとまがありません。
ではどうすれば良いかと言うと、(特別扱いせずに)普通にすればいいってことです。主張はここまで。なるほど、平等に近づけるための数値目標を掲げたことで、マイナス面が大きくなっている状況が否めないから、普通にするんだと。
しかしながら、それだと元に戻ってしまう。少数が少数の中に封じ込められてしまいます。
そもそも、こうした状況を作り出しているのは、各人の働きぶりを評価する際に重視されるのが、質よりも量だからです。
政治でも企業でも、支配的な立場に昇進すると、家庭を犠牲にしなければならないってところに問題が潜んでいます。
だけど、ボリュームなんてものは、組織や仕組みを変えれさえすれば、どうにでもなる。
大事なのは、クオリティです。量よりも質。その点で競い合うのであれば、公正な競争になり得ると言えるでしょう。
問題は、質の評価が難しいということ。お笑いの賞レース審査で毎回のように物議を醸し出すのは、評価基準が定まっていないからです。職務において、優先順位を明確に打ち出しながら、決してボリュームを求めない働き方の見直しこそがカギを握っていると思います。