都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

なんで私が神説教

アイフルのCMでは、大地真央が振り切った演技で、時には丸坊主や角刈りになって職人に近付いています。

もちろん、演出を考えるのはクリエイターなんでしょうが、「この世に愛がなくなったら、ア行はウーとエーとオーだけになってしまう」にはひっくり返りました。高僧のありがたい説法で、ありそうじゃないですか。だから、お金を借りようとは思わないけれど、インパクトの強さから社名を印象付けられまして、抵抗感のハードルがグーンと下がるのでありましょう。捨て身とも思える大地真央渾身の取組みで、いくら貰ってるんだろうと、ちょっと気になったりもします。

ところで、つい最近のこと、筒井康隆の作品『残像に口紅を』(中公文庫)を手にしました。

同氏の作品は、性描写が暴力的過ぎて、笑えないものも少なくありませんが、農協の団体が月旅行へ繰り出すとか、ラジオ局のストライキで管理職たちが現場へ動員されて経理課長がニュース原稿を読まされるとか、喫煙者が警察の締め付けに反発して立てこもり事件を起こすとか、奇想天外な場の設定で、ワクワクさせてくれます。『残像に口紅を』は、アイウエオなどの言語が章ごとに一つずつ消滅するなかで、執筆し、飲食し、講演する流行作家の生活ぶりを描いた1989年の実験的小説です。

なるほど、あのCMの元ネタは、筒井康隆だったんですね。何か新しいものを創ろうとするならば、情報を広く集めるべきなんだなぁと再認識させられました。

筒井氏の設定ありきの手法は、ダウ90000のコントやバカリズムの脚本に通じるもので、そこからの拡げ方がセンスなのであります。

 

そこで話が日テレの『なんで私が神説教』に飛びますが、このドラマがよくある学園モノとちょっと違うのは、元ニートで生徒や学校がどうなっても構わないと考えている主人公が、どんどん熱血教師みたいに感化されていくというとこなんです。なぜ、生徒と人生を語るような向き合い方をするのかと言うと、彼女が生来の負けず嫌いだから。問題ある生徒へのアドバイスをネット検索で参考にしながらスマホへ書き込み、それをチラチラ盗み見ながら、正論を吐き出すという理路整然が発明です。

こんな脚本、誰が書いてるんだろうと調べたら、オークラでした。この人、東京03の座付き作家で、元々はお笑い芸人です。

だから、シチュエーションコントみたいな話はお手のもの。こういう理屈っぽさは、合う合わないがありましょうが、私は大好物です。学校が問題ある生徒のブラックリストを作成し、理事長が教師に彼らを退学させるように指示を出すなんて、普通の人は思いつきません。次回以降もまた、楽しみなのでございます。