都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

フードファイター

昔からバイキング方式のお店が苦手でして、量を食べられるかどうかは別として、品性を試されている感じがどうにも恥ずかしいんです。

だから、友人とは行かない。領土を広げて喜んでいるプーチンみたいに思われるのがイヤなんです。

ホテルのビュッフェ式朝食では、コスパだけを考えています。ボリュームや多品目を求めません。自意識の発達している私は、従業員の視線さえも気になったりするのです。

唯一の例外は、盛岡のわんこそばでした。これは競技なので、恥ずかしくない。頑張って102杯食べて、お店から景品をもらいました。30歳の秋、現役バリバリだったのを思い出します。

 

テレビ東京の『大食い王』企画は、今年で90回目だそうです。

いっとき、各局で競い合うように乱立していたこの手の番組も、マイナーなスポーツ中継みたいなもんで、客層が限られていて視聴率を期待できないため、民放のメジャー局は次々に撤退しました。生き残って続けているのがテレビ東京スピリットです。5%もあれば充分とするならば、むしろ固定ファンがいるので届きやすい。一方では、大食い企画が空腹や飢餓に苦しむ国や団体に対し、侮蔑的であるとの真っ当な意見もあるわけで、それほどには跳ねることのないテレ東のアングラ的な立ち位置だからこそ、ちょうどいい収まり場所といえるんでしょう。こっそり続けている感じ。なんですかねぇ、頭を低くした目立ちすぎないような気配りは、盛り上げ要員としてできるだけ影の薄いタレントを呼ぶという、プラマイゼロみたいなバランス感覚にも表れています。

食べ続ける戦いの中に、大食いの元チャンピオンが解説者として登場するのも独特です。大食いの解説。アメリカ人はスピード勝負に慣れているだとか、疲れてきたら立ち上がって身体を上下に揺するといいとか、理屈があるものです。

そして、予選から始めて、準決勝→決勝の流れの中で、単調にならないように、評価軸を日本人対外国人としているのが最大の工夫です。番宣では、そのことを「史上最強の黒船軍団」として煽っておりましたが、平凡な日本人をヒーローに仕立てる演出は、力道山のころのプロレスを見るようでもあり、なるほどです。だから、決勝の食材がラーメンだというのも、パワーで劣る日本人が有利になるよう仕組んだと睨んでいます。外国人は、麺を啜れませんからね。最高峰の闘いでは、ちょっとしたことが大きな差になる。あらゆる競技に共通する真理です。

 

それにしても、大食い対決の致命的な欠点は、絵面が汚ないんです。ゴールデンタイムなのに。だけど、テレビ東京では、アリらしい。

コンプライアンスと違って企業倫理というものは、その組織によって軸が変わるのであります。