都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

おとなの思考

ミステリーばかり読んでいると、暗黒面に引き摺り込まれるような気分になるので、心のバランスを保つため、自己啓発本みたいなのも読むようにしています。

本日読み終えたのが、外山滋比古の『おとなの思考 学校では教えない逆転の発想法』(リベラル文庫)です。

この本の内容の多くは、40年前、外山氏が60歳のころに書き上げたと言いますが、今読み返しても全く古びた感じは持てません。

そして、還暦を迎えたからこその重みのある発言でもある。

惹かれた部分を抜き出してみました。

 

・食欲を抑え切れずにいると病気になるように、知識を貯め続けると知的メタボリック症候群になって、自分で考える力を失ってしまう人が多い。内田百閒は、知識が頭の正常な働きを妨げて自分で考える力を失った人のことを「何でも知っているバカ」と呼んでいたと言う。
・敬語は単に相手に対する言葉ではなく、自分をトラブルから遠ざけるための言葉遣いである。
・キズのあるリンゴが甘いのは、それを庇って元通りになろうと旨みを出すからだ。ここで大事なのは回復力ということ。病気になることで、復元しようとする回復力が働き、以前より健康になるということがあるのだ。
・あらゆる試験に合格してしまうような秀才は、回復力を働かせた経験がないだけに、人間的成長において落第組に及ばないものがある。
菊池寛は「学問的背景のあるバカほど始末の悪いものはない」と専門バカを揶揄した。知識とは借り物であって自分で考えたものでないということを知るべきである。
・学校では、考えることを教えない。そこで教えられる知識とは、ほかから借りてきた情報にすぎない。誰かのモノマネに留まりたくなければ、どんどん忘れて知識を捨てるべきだ。自分の知見を創出する意欲が大事なのだ。
・知ることよりも考えることこそが、おとなの思考の基本である。そのためには、自分の専門外の人との交流による気付きが必要だ。

・我々にとっての本当の幸福には、心への薬が必要だ。その薬とは、人から褒めてもらうことだ。褒めるということが教育の基本なのだ。
・赤ちゃんが産まれて30ヶ月もすると人間らしくなるのは、言葉を覚えるからだ。言葉こそ心を育てる栄養である。言葉による刺激が少なくなると心の老化が始まる。老化の防止は心へのお化粧、新しい言葉を覚えようとする気持ちなのである。
・人間の同時認識の限界は七つまで。個人差を上下二つだとし、この七のことをマジカルナンバーと呼ぶ。
・陸続きの外国を持っていない地理条件は、純粋・潔癖・孤立などの諸条件を助長するが、何より外国人に対して過敏になるのが問題だ。
・日本は同じ島国の英国を手本として近代化を進めてきたが、一つ大きく違うのは、日本人が外国人コンプレックスを持っていて、外国産のものを有難く受入れたことだ。こうした自主性のなさが、悪い島国根性に陥らずに済んできた理由である。
・我々は島国形式が国粋主義と化合しないように警戒せねばならない。誤ったナショナリズムは危険だということを忘れてはならない。

 

逆説的な知的メタボリック症候群というのは、驚くべき発想でした。知識に縛られることなく、そこから一歩踏み出して考えろと。

なるほど、人工知能に負けっぱなしを容認するようではいられません。人間は考える葦なのであります。