コンビニや飲食店での悪ふざけをSNSに上げて、その店に多大な迷惑をかける行為がいつまでも後を断ちません。
結局は捕まってしまうのだし、どうしてそんなことをやるのか理解できなかったのですが、宮口幸治の『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)を読んでから、そこで本当に言わんとしていることが見えてきて、途方に暮れています。
この本では、少年院で非行少年たちと接してきた経験をもとに、彼らが自分の犯した罪に向き合ったり、被害者の気持ちを考えるなどといった反省以前の問題として、そもそもが思考する能力の極めて低い、境界知能の子供がほとんどだということを痛感したと書かれています。しかしながら、明らかな知的障害者と違って、これらの少年が一見「普通」の子供として扱われているのが問題であると。その結果、後先考えずその場の感情で衝動的に行動する、目が合っただけで「睨まれた」等の認知の歪みによる被害者意識を募らせるそうです。単に「不真面目」「怠けている」との評価で、親や教師から叱責されたり、同年代の友人達からイジメられたりしたストレスを爆発させるため、犯罪の加害者となるに至るケースが散見されるという図式です。
ホールケーキを五等分に切ることができないというのは、境界領域を示す喩え話なんです。結局のところ、ほんの少し先の状態でさえ、予見することができないという意味でありました。
そんなレベルであっても、周辺機器が使いやすく進化しているため、ちょっとした行為が予想だにしない大問題へと発展していく世の中なんです。便利なんだか不便なんだか。
一年前ですか、銀座の宝石店に白昼堂々と強盗に入った高校生も、その先がどうなるかを突き詰めて考えられなかったと言いますし、闇バイトの募集広告に簡単に応じてしまうのも、同じ話です。
こういうのって、どうすればいいんですかね?答えらしきものさえ、見えてきません。