短くても本質を突く表現を「アフォリズム」と言います。
歴史に刻まれた有名な例としては、「我思う、故に我あり」(デカルト)とか「想像力は知識よりも重要だ」(アインシュタイン)とか「人間は考える葦である」(パスカル)とか「時は金なり」(フランクリン)などが挙げられます。
もともとはギリシャ語の「aphorismos(定義・区別)」が語源であり、フランスやドイツを経て現代日本語にも定着しました。文学や哲学の世界で重要な役割を果たしています。
日本では、芥川龍之介による『侏儒の言葉』(文春文庫)が警句集として有名です。
侏儒とは身体の小さい人や知識のない人を指す蔑称ですが、そこから普通ではない視点で物事を語る意味合いも含まれていると言われています。
同書から珠玉の言葉を抜き出してみましょう。
・「侏儒の言葉」は必ずしも私の思想を伝えるものではない。ただ私の思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一筋の蔓草ーしかもその蔓草は幾すじも蔓を伸ばしているかも知れない。
・道徳の与えたる恩恵は時間と労力との節約である。道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺である。
・道徳は常に古着である。
・正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。
・人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはバカバカしい。重大に扱わなければ危険である。
・人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成している。
・人生は常に複雑である。複雑なる人生を簡単にするものは暴力より外にあるはずはない。この故に往々石器時代の脳髄しか持たぬ文明人は論争より殺人を愛するのである。しかしまた権力も畢竟はパテントを得た暴力である。我々人間を支配するためにも暴力は常に必要なのかも知れない。あるいはまた、必要ではないのかも知れない。
・輿論は常に私刑であり、私刑はまた常に娯楽である。たといピストルを用うる代わりに新聞の記事を用いたとしても。
・人生を幸福にするためには、日常の些事を愛さなければならぬ。雲の光、竹のそよぎ、群雀の声、行人の顔ーあらゆる日常の些事のうちに無上の甘露味を感じなければならぬ。
・あらゆる神の属性中、最も神のために同情するのは神には自殺の出来ないことである。
・女は常に好人物を夫に持ちたがるものではない。しかし男は好人物を常に友だちに持ちたがるものである。
・理想的兵卒はいやしくも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。すなわち理想的兵卒はまず理性を失わなければならぬ。
・結婚は性欲を調節することには有効である。が、恋愛を調節することには有効ではない。
・言行一致の美名を得るためにはまず自己弁護に長じなければならぬ。
・文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。
・あらゆる言葉は銭のように必ず両面を備えている。例えば「敏感な」という言葉の一面は畢竟「臆病な」ということに過ぎない。
・阿呆はいつも彼以外の人々をことごとく阿呆と考えている。
・万人に共通した唯一の感情は死に対する恐怖である。道徳的に自殺の不評判であるのは必ずしも偶然ではないかも知れない。
・彼は悪党になることはできても阿呆になることはできないと信じていた。が、何年か経ってみると、少しも悪党になれなかったばかりか、いつもただ阿呆に終始していた。
そこそこ理解できたのがこれだけで、実際には数十倍、数百倍の至言がぎゅうぎゅうに詰まっていました。
彼は35歳で睡眠薬による服毒自殺したとのことですが、一体どれほどの経験をすれば、これだけいろんなものが見えるようになるんでしょう?
遺書には自殺の理由として「何かただぼんやりした不安」と書かれていたそうです。生き急いだってことなんですかねぇ?
『羅生門』を改めて読み返してみようと思いました。