我が家は浄土宗なので、南無阿弥陀仏とさえ唱えれば、極楽浄土に行けるとバカみたいに簡単です。それを指して「他力本願」という。これは気が楽ですね。ドバーッと広まったわけです。
とはいえ、そろそろお迎えが近いので、もうちょっと理論武装しようと、先日、法事の機会にお坊さんへ取材しました。お経だけでは、よく分かりませんからね。
で、キーワードを二つ引っ張ってまいりました。
ひとつ目が「愚者自覚」。
人間は煩悩にまみれており、物ごとの真理を見通せない愚かな存在であると、自らの限界を認めなさいという教えです。いいですねぇ、愚か者、近藤真彦です。自身の正当化や傲慢さを捨て、自分と誠実に向き合う謙虚な姿勢を求めたもので、その自覚を持つことによって、真の謙虚さや他者への思いやりが育まれるとありがたや。
確かに、思い出すのはアホだったことばかりで…結構してました、愚者自覚。仏教の教えなんだ。
続いてふたつ目は「追善」です。
先に亡くなった両親や先祖の御霊のために、生きている者が追って善行を積み、その冥福を祈ることだといいます。
具体的には、仏壇にお線香をあげたり、墓参りしたりするのはもちろん、亡者の年忌などに法事を営んで供養しなさいという営業トークでした。なるほど、お布施を渡したら、お線香をお返しにいただき、ちゃんとしてるなぁと思った次第です。
まぁ、法事はともかくも、追善は大事な考えですね。徳を積むってこと、一流の人間が意識してる話をよく聞きます。そういうのを含めて、仏の教えだっていうこと、ちょっとだけ考えました。