昨年のことですが、『週刊朝日』の書評に大川隆法氏の著作物が載っているのに、大きな違和感を感じました。
ほかの雑誌ならともかくも、硬派の朝日新聞系ですから、特定の宗教の教祖を支持するような内容はどうも…。
私たちは、ある意味、信じてますよね、新聞の言ってることは概ね正しいって。
だけど、震災以降、そうでもないということも、だんだん分かってきました。
つまり、ウソを書かないまでも、取り上げる内容が恣意的で、決して客観的でないということを。
例えば、液状化の話や放射能漏れのことは、知っていても書かなかったり、政府発表の垂れ流しだったり。
これじゃ、東電の批判なんて、できません。
そう、できないんです。
大事なスポンサー(広告主)だから。
今週号の『週刊現代』に、「新聞社は創価学会と幸福の科学なしに生きてゆけない」の記事が掲載されておりました。
それは、広告収入が激減しているからだそうです。
なるほど、そうだったんだ。
だとすると、ネットに取って変わられる新聞の未来は、暗いように思います。
公平性が失われ、タブーがいっぱいできちゃうと、知っていても書けなくなります。
そうなると、心ある記者が、新聞社から離れていってしまいますからね。
近い将来、スポンサーに左右されない新しいメディアが育ってきます。
そして、新聞・テレビが消えていく。
時代の流れなのであります。