先日、『ボクらの時代』という日曜朝のテレビ番組で、松雪泰子とナインティナインの岡村隆史、それに映画監督の李闘士男が鼎談をしておりました。映画「ていだかんかん」の番宣を兼ねてのものですが、その中で演劇論のような話になり、岡村氏は次のように話していました。
「自分の中では、演技はデキてると思っていました。コントでいっぱいやってるし。でも、芝居で泣くシーンができなくて…。おかんが死んだと思えばいいって言われたんだけど、想像してたら、そんな自分が可笑しくなって逆に笑ってしまうんですよ」
これをフォローして李監督は「お笑いは客観的なもの、芝居はその役者自身の主観的なものである」と分析していました。
いい話ですねぇ。ものの考え方、主観と客観。
確かに、人を笑わせる能力には、空気を読み、空気を作る、客観的な能力が不可欠であると。
自分がどう見られているかっていうのは、重要なファクターですからね。何を笑っているかよりも、どんな風に笑っているかに敏感でありたい。それがセンスです。
笑いについては、随分、研究したもんなぁ。
小学校一年生のとき、学期ごとに違う小学校へ転校した経験がある人なんて、そうはいないでしょう?
ハイ、それは私です。
(つづく)