都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

がん遺児奨学基金①

1995年といえば、忘れてならないのが「阪神淡路大震災」、そして「地下鉄サリン事件」です。
世紀末思想みたいなものも出てきて、大変な一年でありました。

私はといえば、勤めていた会社の全社的なプロジェクトであった「がん遺児奨学基金」の担当責任者として文部省(現文部科学省)へ日参する日々で、なかなか認可がもらえずに、焦りまくっていたのを思い出します。
書類が整っていたにも関わらず、何故、認可が遅れたか?
それは、オウム真理教のせいなんです。
当時の文部省は、宗教法人窓口として「オウム問題」にかかりっきりとなっており、新たな懸案を抱えこむようなムードには、とてもなれなかったのでありましょう。
そのぐらい強烈な事件でした。
それでもなんとか年末12月25日にお許しが出て、翌年4月の高校生活に間に合わせるべく、奨学金申込みの仕組みを作ったのです。
それはもう、連日、お酒も飲まずに、終電まで働いておりました。

この奨学金は、主たる生計維持者(ほぼ父親のこと)をがんで亡くした高校生に対し、月額25,000円を給付するもので、返還が不要というのがいいところ。
まぁ、実際にそういうことになると、金銭面の不安は計り知れないものがありますからね。
それで、初年度の申込みが、全国各地から定員30名に対して600名超。
何とか頑張って、定員を50名に増やした(当初の設計よりも寄付が多く集められていた)ものの、それでも競争率は12倍以上です。
実際に、事務局窓口として、申込み書類に目をやると、いろんな人生が垣間見えて、簡単には審査できないなと痛感しました。

こういうものには、事実とは別に作文能力の違いがあります。
何より、推薦者である学校サイドの熱の入れ方が違う。
金八先生みたいな担任に巡り会えたら幸せなんですけどね。
中には、全く誠意が感じられない校長先生もいたりして、それはもう千差万別でした。

で、選考の基準作りをするわけですが、母親の昨年度の収入ってのが、必ずしも生活困窮度に繋がっていない壁に、まず突き当たります。
金満家の祖父母がいたりしますからね。
保険だって、どのくらい受け取っているかで大きな差があります。
それに、都会の10万円と田舎の10万円は価値が違う。
これ、比べにくいんですよ、実際には。
成績だって、そう。
そもそもの偏差値が違うんだから、オール4だといってもいろいろです。
課外活動の成果についても同じこと。
メジャーな競技とマイナーな競技とでは、全国大会の意味合いがねぇ。
かと言って、熱心な推薦文に流されてしまうと、理科系の校長先生に当たった生徒は不幸です。

でもねぇ、応募書類には一つひとつの壮絶な人生があるんですよ。
単純なデジタル思考では、解決できないというのが現場の切なる想いです。
そこで、選考された生徒に偏りが出ないよう、地域性までも考慮に入れて、30項目にわたる細かいポイント付けを行い、選考委員会の運営委員が分かりやすいような一覧表を作成しました。
39歳の春、やり遂げたって感じの仕事でした。

(つづく)