軟式時代には、それほどでもなかった元高校球児たちが、準硬式となって、俄然やる気になり、チーム力が高まったのは、業界内のリーグ戦という側面もありました。
三部から毎年、勝ち上がり、あっという間に一部へと昇格。
さすがに、一部のチームは自前のグラウンドを持っており、練習もそこそこやってるみたいです。
我が軍は、平均年齢の若さとチームワーク(風通し)の良さが際立っており、互角以上に闘える戦力でありました。
しかしながら、毎年優勝を続けるY生命との間には、体格面を含め、どうしようもない実力差がある。
そこで、監督である私は秘策を練りました。
当時のエースは、コントロールこそ良いものの、スピードがいまひとつ。
打たれ出すと、止まらなくなる傾向にあったのです。
準硬式は、痛烈な打球が飛びますからね。
そこで、右打者に対する場合、二塁手をベース上で守らせ、内野手が引っ張りの打撃に備えて深めの守備を。
レフトもフェンスの手前まで下げて、センターも深め。
ライトは通常のセカンドゴロにもある程度対応できるように、定位置よりも前で守る。
このシフトで、右打ちを狙ってくれば、こちらの思うツボです。
うちらは、強い打球を打たせたくないわけですから。
相手からすれば、せっかくドライバーで打てるのにアイアンで刻むみたいなことは、やりたくないのが心理です。
しかしながら、この作戦は、うまくいきませんでした。
自軍の選手が、「カッコ悪いから、そんな守り方ができない」と言い出したのです。
選手たちの多くは、甲子園に出るような名門校の出身。
それぞれに、オーソドックスな野球観が刷り込まれており、将棋部出身の私には、監督とは名ばかりで、説得力がありませんでした。
でも…
だからと言って、まともにぶつかったとしても、勝てるもんじゃありません。
案の定、その試合はボコボコに打たれ、5回コールドで涙を飲みました。
試してみたかったなぁ。
(つづく)