多くの人は気に留めていないでしょうが、漫才コンビの「すゑひろがりず」の「え」は歴史的仮名遣いの「ゑ」でありまして、そこに彼らのこだわりを感じています。現代仮名遣いの定義では、主として現代文のうち口語体のものに適用するとしており、科学、技術、芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼさないとなっているので、「ゑ」も堂々と名乗れるのです。
そもそもは、初めに音声があって、後から文字ができたわけで、「え」業界には本家である「え」とヤ行の「え」、それにワ行の「ゑ」があって発音もそれぞれ微妙に違っておりました。ヤ行の「え」は、10世紀後半、早々に看板を下ろし、一緒でいいじゃんと本家に合流します。しかしながら、ワ行の方は、藤原定家や契沖、それに本居宣長ら国語学者の吟味に耐え抜き、つい最近まで歴史的仮名遣いの中で生き抜いておりました。
日本語の文字の歴史を調べてみると大変興味深いものがあります。
まず、郵便の父である前島密が明治維新のころ、『漢字御廃止之議』を。生活に追われる町人は、覚えるのが特に大変で、字が読めないのは生活に支障をきたし、問題だと言うのです。明治になって、欧米の文化にさらされるようになると、初代文部大臣である森有礼が、楽天の三木谷社長さながらに英語の国語化を主張しました。本気です。小説家の志賀直哉に至っては、日本語の例外だらけの複雑性に呆れ、フランス語が美しいのでそれを国語にせよと言い出す始末。これは、戦後間もなく、歴史的仮名遣いが論議されたころの話です。
面白いですねぇ。もう少し、おっちょこちょいがいたら、日本の文化はガラリと変わっていたかもしれません。それほどに、日本語が複雑で、学ぶのに時間がかって経済的でないと考えたんでしょう。
昭和21年にGHQから押し出されるように発表した現代仮名遣いは、簡略化に向けて、随分頑張ったと思います。アメリカさんは、ローマ字を推進したかったみたいですけどね。このころ、当用漢字(現在の常用漢字)もぐっと絞り込まれました。その分、他の教科へ力を注げってことで。戦前の教育と今とでは、国語の学習時間が随分と少なくなったようです。