中学のスズキ先生は、最初の国語授業でことばを大切にせよと切り出し、課題として“右”ということばが各辞書でどのように定義されているかを調べなさいと仰いました。言われるままに書店のコーナーへ。
違うもんですね、出版社によって、定義の仕方が。
「空間を二分したときの一方の側」
「北を向いた時、東にあたる方」
「箸を持つ手の方」
「左の反対」
いろいろある中で、岩波国語辞典のそれは、秀逸でありました。
「この辞典を開いて読む時、偶数ページのある側をいう」
これは、雷に撃たれたような衝撃です。スゴい!
遊びがあることで、学問はグーンと楽しくなります。
以来、岩波国語辞典は常に一緒にいるようになりました。カバン、クルマ、トイレ、寝室、職場…。分からない言葉があると、直ぐに岩波で調べます。これは、とってもいい習慣。教育のチカラは大きいです。知識じゃなくて、考え方を教える、教わる。スズキ先生、エラい!!
生まれて初めて、演劇の舞台を見に行ったのは遅く、社会に出てからでした。
井上ひさし(2010年死去)主宰のこまつ座公演『国語事件殺人辞典』です。
主演は10年前に亡くなった小沢昭一で、これが実に面白かった。
日本語辞書の編纂に明け暮れる国語学者の人生を描いたものですが、どうやらこれが岩波辞書のパロディ(エール?)で、セリフのそこかしこに日本語への氏のこだわりが散りばめられていました。主人公は、いろんな言葉を独自に定義します。
「ドーナツ:砂糖、バター、卵などをまぜてこねた小麦粉で穴のまわりを囲い、それを油で揚げた洋菓子」
「たべる:食うの丁寧表現。生命を維持するのに必要な食物を、口から尻へ押し出すこと」
言葉へのこだわりがくだらないとも。
「地動説が正しいのは誰もが知っているハズなのに、“日が昇った”“日が沈んだ”と書く。それは、言葉が単なる約束事にすぎないから。だから、そんなものに厳密性を求めても意味がない」
そのうち、言葉に関する病気の症例がいろいろ出てきます。
言語不当配列症:「しいぞ、おかしい」に見られる言葉の配列の乱れ。
ベンケイ病:「先生もなんだ。かおかしいどう。なさったの。ですか」に見られる文間感覚の喪失。
電文症:「ユルセ、ダンラク、ヘンマツ、ダンラク」に見られる電報文体の言葉。
たくさん笑わせていただきました。
公演のパンフレットには、井上氏の日本語への思いがつづられており、そのこだわりのきっかけが“右”の定義だったと。「アレッ!?」どっかで聞いたような…??
それにしても、井上氏は『ひょっこりひょうたん島』の脚本を書いたり、てんぷくトリオの台本を手がけたり、才能の塊でありました。
影響を受けまくっています。