バナナマンの設楽統という人は、業界内での評判が高く、その瞬発力や臨機応変な対応が認められて、朝の帯番組の司会をずっと続けています。
その名前ですが「したら・おさむ」と読みます。
設楽とは、梵語(サンスクリット語)のsutra(秩序の意)が転じたものとされており、したら→しだら→だらしとなって、だらしないという言葉に発展したと解釈されているそうです。だけど、だらしあるって使い方はされません。ちゃんとしてない人だけをだらしないと言う。
面白いですね。
イラストレーターでありエッセイストでもある南伸坊は、そういう言葉を集めて「ゲルマン語」と呼んでいました。ゲルマン民族の言葉だという本来の使い方ではなくて、一方の意味にしか使えない言葉の分類として定義します。例えば…
・しょうがない
・うだつが上がらない
・申し訳ない
・まんじりともしない
・邪気がない
・えげつない
・やぶさかでない
いずれも「〜ある」とは言いません。大風呂敷を広げるなんてのも、このジャンルに含まれます。広げるしかないからです。
何故、ゲルマン語って言うかというと、みんなが揃ってゾロゾロ動くときの喩えで「ゲルマン民族の大移動」って言うからだと。つまり、セット商品の言葉なんです。切り離すことができない決まり文句なんです。慣用句に近いのかな?
だからどうだってこと、ないんだけど、飲みながらワイワイやってるときのたわいないバカ話にはちょうど良い。
ん? たわいない? ちょうど良い? うーん、ゲルマン語は結構多いのであります。だからどうだってことは、ありません。