都会のネズミと田舎のネズミ

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学習観の変遷(2021/10/24分再掲載)

教育については理論が系統立てられています。

最初の潮流は、たくさんの生徒を一つの教室に押し込めて、先生が一方的に授業を進めていくやりかたでした。学習の主体は教師で、生徒は次々に提示される問題に繰り返し答えていく。身体が自然に反応するまで反復を重ね、習慣を形成するというのが行動心理学に基づいた考え方です。

私の学生時代、英語の授業はそんなだったのを思い出します。

「これは机です」「これは椅子ですか?」「いいえ、ペンです」みたいな実際に使うはずのないフレーズを少しずつ変化させて学ぶことに、何の疑問も持ちませんでした。いや、スポーツもそう。野球にしろラグビーにしろ、繰り返して自分のものにすることだというのが、正しい教え方だと信じ込まれていたのです。

しかしながら、この同じことの繰り返しってやつは面白くありません。飽きる。

一日に500球投げろとか、グラウンドを50周しろとかを受け止めるだけで、やらされている側が何も考えないってのは、どうも…?

 

そこで登場するのが認知心理学の考え方です。

深い知識は、反復練習からではなく、新しい知識と既存の知識が結びついたときに化学変化を起こすとしたのです。ただ覚えるのではなくて、その意味を説明できることが重要だと考えました。人に教えると、実は自分の方が勉強になるってことです。学習の主体は教師ではなくて、学習者の方に移りました。教育業界では、この考え方を認知主義と呼んでいます。学習者主体ってところがポイントです。その場合の教師の存在は、支援者という位置付けになります。

 

最近は、もっと進んで教師と学習者が共同で知識を構築していくのがいいと考えるようになりました。これを構成主義と呼んでいます。

学習者は能動的かつ自律的な存在となり、教師はそれを支えるコミュニティーの一員という感じ。

日本のプロ野球は、行動主義や認知主義の考えで止まっている人が多いですが、メジャーリーグでは、ずいぶん前から構成主義で選手に接しておりました。この次元では、学習者同士が積極的に情報交換するようになります。

そういえば、日本のプロ野球野球でも、進んでいる選手たちは、数年前から他球団の選手と自主トレするようになりましたね。それが、構成主義の考え方です。自分で、自分に合った考えを組み立てていく。

 

そうやって歴史を振り返ると、教育業界の関係者に限らず、教える立場にある人は、どうやって学習者に接するかを勉強しなければいけないことが分かります。それを評価する人にも、そのセンスを期待したいんだけど、教育を行動主義レベルで簡単に考えている「喝!」みたいな人が、あまりにも多いのが現状なのであります。

プロ野球界でGMが注目されているってのは、そういうことなんだなぁと改めて思いました。