中学受験を目指した子供は、国語の勉強で同音異義語をみっちりと学びます。
「工場」「向上」「厚情」「口上」「恒常」「荒城」みたいな感じ。
これは、ダジャレに繋がっています。
少年若林は、こういうのが大好きで、国語辞典に線を引きながら、勉学に勤しみました。
そして、それは“なぞかけ”に発展します。
代表作を一つ。
ライオンとかけてサカナととく
そのココロは?
どちらも「ウオー」
人気者でした、主観的に。
修学旅行の大部屋では、座布団がいっぱいあるのに興奮し、仲間を集めて「笑点ごっこ」をやったのを今でも美しく覚えています。
そう、当時のヒーローは落語家であり、中でもみんなを仕切る司会者は、憧れの的だったのです。
立川談志のテンポのよい語り口は際立っており、あらゆるジャンルに精通した博識ぶりは、尊敬を通り越して崇拝レベルでありました。
参議院議員のときに、記者会見で「公務と酒とどっちが大事か?」と聞かれ、「酒に決まってんだろ」と答えたのは有名な話。
もちろん、辞任に追い込まれました。
だけど、辞めるとか辞めさせられるとか、全く拘らない真っ直ぐな生き方は、なかなかマネができないので、カッコよく思ったりします。
不良ですね、弱っちい不良。
享年75歳だそうです。合掌。