都会のネズミと田舎のネズミ

時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。

アフラック躍進の秘密②

死亡原因には流行があります。

戦前はなんと言っても結核です。結核以前の問題として、さまざまな感染症があったでしょう。明治大正の時代は、乳児死亡いわゆる生まれてから一年以内に亡くなった赤ちゃんが年間に10万人いたと言いますから、大変です。医療レベルも衛生状態も推して知るべしといったところ。

それが戦後には、脳卒中がとって変わります。どこの家でも塩分摂り過ぎですからね。高血圧由来の脳卒中。エアコンどころか隙間だらけの日本家屋、トイレが家の外にあったりして、冬場にバタバタ倒れてました。

そしてそれが、悪性新生物に抜かれて行く。がんが死因のトップになったのは、昭和56年のこと。がん保険は、昭和49年に販売開始ですから、先取りしていたのが分かります。その恐ろしさは、連日メディアで報道されるので、コロナにはうがい薬みたいな話。宣伝要らずです。

タイミングがバッチリながん保険でありました。

 

金融商品に許されるパイオニアメリットは、せいぜい一年程度です。

どこかが斬新な保険を創り出したとしても、後発の会社が似たようなものをぶつけてくるのがいつものこと。

しかし、このがん保険については、発売後9年間も他社が販売することが許されませんでした。

爆発的なヒット商品であるのに、守られ続けていたのは何故か?

それは、当初出されたがん保険の保険料算出に間違いがあって、そのままにしておくと、会社が維持できないことが分かったからです。

当時、がんに関するデータがブラックボックスで、特に高齢者の統計数値がハッキリしていなかったことに因る。準備不足の見切り発車だったことは否めません。

そこで、発売4年後に『新がん保険』を売り出し、既契約者には転換を薦めます。簡単に言うと、赤字のがん保険を減らし、新がん保険の比率を高めろってこと。そのために、監督官庁である大蔵省に、他社の販売を遅らせてもらったのです。金融機関を潰すわけにはいかないと。