都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

地震の年表

『どうする家康』を観ていたら、豊臣秀吉徳川家康を潰しにかかったときに、天正地震が起きて、それどころじゃなくなったという描写がありました。なるほど、地震が起きるのは今に始まったことでなく、阪神淡路大震災東日本大震災みたいな大災害は、ずっと以前から続いていたことでしょう。だとするならば、それが史実に与えた影響は、計り知れないものがあったと思います。

そこで、その天正地震(1586年)以降に発生した震度7クラスの激震を調べてみました。

 

1596年 慶長伏見地震 京都や堺を中心に死者1,000人以上

1611年 会津地震 死者3,700人

    慶長三陸地震 伊達領で大津波により死者2,000〜5,000人

1614年 京都を中心とした全国規模の地震 M7、7とされている

1666年 越後高田地震 死者1,400〜1,500人

1677年 延宝房総沖地震 M8、0前後 死者500〜600人

1703年 元禄地震 M8、1〜8、2  関東南部に津波 死者6,700人

1707年 宝永地震南海トラフ全域)M8、4〜8、6  死者4,900〜2万人以上

1771年 八重山地震 震源八重山列島だが大津波による死者は12,000人

1792年 島原大変肥後迷惑 雲仙岳火山性地震などにより死者15,000人

1847年 善光寺地震 長野県が震源の直下型 死者10,000〜13,000人

1854年 伊賀上野地震 死者1,800人

    安政東海地震 M8、4  死者2,000〜3,000人

    安政南海地震 東海地震の翌日に同じくM8、4  死者1,000〜3,000人

1855年 安政江戸地震 死者4,700〜11,000人

1891年 濃尾地震 M8、0  最大震度7 死者行方不明者7,273人

1894年 庄内地震 最大震度7 死者726人

1896年 明治三陸地震 M8、2〜8、5の津波地震 死者行方不明者21,959人

1923年 関東大震災 M7、9  死者行方不明者105,385人

1927年 北丹後地震 死者2,925人

1933年 昭和三陸地震 死者行方不明者3,064人

1943年 鳥取地震 死者1,083人

1944年 東南海地震 死者行方不明者1,223人

1945年 三河地震 死者行方不明者2,306人

1948年 福井地震 死者行方不明者3,769人

1995年 阪神淡路大震災 死者行方不明者6,437人

2004年 新潟県中越地震 死者68人

2011年 東日本大震災 死者行方不明者22,000人

2016年 熊本地震 死者273人

2018年 北海道胆振東部地震 死者42人

 

ハッキリした震度7の概念は、2004年の中越地震からですが、そんなに頻繁に起こるものではないことがわかります。

しかしながら、その前後にもう少し小さめのやつが頻発する傾向にあるのも確かのようです。

三陸沖や南海トラフ震源とするものは、周期的に起きているので、しっかりと覚悟しておく必要があります。

関東大震災の経験を経て、それなりの対策がなされているようで、被害者数は相対的に減っています。

寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやって来る」と言いましたが、本当にそうですね。こうした地震の歴史については、そこそこ授業で教えるべきだと思いました。