大学時代のおいしい仕事は、お中元お歳暮時の銀座デパートの配達アルバイトでした。
今から45年ぐらい前の話、荷物一つ運ぶと200円もらえました。一日頑張ると、100〜150個が運べます。
私の担当地区は、大田区・目黒区・品川区、そして世田谷区でした。
今もそうだけど、世田谷区はお金持ちの住む街で政治家や実業家が多く、また、それぞれ家の大きさに驚かされたものです。
中でも大平正芳の家は、お城みたいでした。そして、小佐野賢治。広いなんてもんじゃない。扉が開いてから、さらに車で進んでいく感じ。当時、ロッキード事件のさなかで、新聞に出てくる名前の人の家に興奮していたのを思い出します。
で、児玉誉士夫の家は、マンションだったと記憶しています。誰だろう、児玉誉士夫。持ってる情報は名前だけ。
いや、あの事件。当時は実態がよくわからないまま、どうやら悪人らしいと名前だけインプットされていました。
右翼、国士、総会屋の親玉、暴力団のまとめ役、黒幕、フィクサー…いろいろ言われてましたが、どうやらアメリカCIAの協力者、つまりスパイだったというのが定説のようです。
戦後、アメリカは日本が共産主義に傾倒しないように、注意深く監視し続ける必要があったので、そのアセット(協力者)として児玉誉士夫が選ばれたというのです。なるほど、大国はいろんなことを考えるんですね。その国の意思をもコントロールしようとする。
で、アメリカにとって、軍事産業は最大の輸出案件であり、利益を生み出す打ち出の小槌でありました。
それが、戦闘機であり、潜水艦だったのです。
潜水艦は、海中で酸素を必要とする火力エンジンが使えないことから、原子力潜水艦が生まれました。これに対抗するように、その原潜を発見するための対潜哨戒機が開発されます。アメリカは、これを売り込みたかった。日本はその飛行機の国内生産にこだわった。そこで圧力をかけると同時に、政界工作が行われたのです。
つまり、ロッキード社の本命は民間の航空機じゃなくて軍用戦闘機の方にあり、その採択についてこそ、ドロドロした話があったのです。
全日空じゃなくて、防衛庁が本丸であり、児玉誉士夫こそがロッキード事件のキーマンだったということです。
(つづく)