2019年11月29日に亡くなった中曽根康弘は、享年101歳でした。
ちなみに1918年生まれは奇しくも田中角栄と同じ。お互いにすごく意識していたことでしょう。
高等小学校卒に対して東大法学部卒。身長164センチに対して178センチ。総理在任期間は2年5ヶ月に対して倍の5年。そして、何より違っていたのはその政治信条で、日本経済の発展と国民生活の向上を訴える田中角栄に対して、中曽根康弘は憲法改正と自主防衛でした。
それをアメリカ側から見ると、オイルショックを受けて中東やソ連、ノルウェーまで交渉の手を広げようとした田中角栄を米国石油メジャーは許せなかったと言います。一方で中曽根康弘は、角栄が反面教師となったのでしょうか、政治信条とは別に柔軟で、米国の顔色を窺いながら、上手く立ち回っていたようです。ロッキード事件が大問題となった三木内閣時代、幹事長の要職にあった彼は、アメリカ政府に対して「この問題をもみ消すことを希望する」との公文書を送ったとする記録が見つかっています。その理由は、放っておくと自民党が選挙で大敗し、日米安保の枠組みが壊されるからだというから急所を突いていました。
だから、疑惑の対象は田中角栄までで止めてほしいのだと。
アメリカという国は、すごくオープンにしているように見せながら、大事なところはしっかり秘密にしておくってこと、そのへんの機微理解が絶妙だった、それが中曽根康弘の真骨頂です。
国士・中曽根は、国産の戦闘機開発にこだわっていたのに、あっさり最新鋭のロッキード社製に切り替えさせたあたり、本当はここに事件の真実が隠されていたように思えてなりません。
田中角栄は、酒まみれで犯罪人のレッテルを貼られたまま75歳で亡くなったのに対し、101歳で大往生した中曽根康弘は、内閣と自民党による合同葬儀として送り出されました。
それにしても、昨今のキックバック問題と比べると、スケールの違いが大きすぎますね。金銭の授受でいろいろあったとしても、政治家は信念で動いてほしいと改めて思うのであります。