「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」
これは、米長邦雄永世棋聖が残した名言ですが、確かに羽生善治は高卒、藤井聡太に至っては高校中退ですからね。将棋の世界では、学歴なんてまるで関係ないと思われています。大学へ通うのは、大切な時間がもったいないと。
だけど、わざわざ言うのも気にしている証拠です。今更、どうにも変えられないけど、悔しいと思うのが学歴コンプレックスです。
その一方で、大相撲では近年、大卒の割合がグーンと高まっています。
無理編にゲンコツの世界に飛び込もうとはなかなか思わない。高校や大学の名門相撲部には、優待生制度がありますしね。
しかしながら、肉体的には25歳ぐらいがピークと言われる世界なので、その生き方は遠回りなんです。三月場所で新入幕にも拘らず、いきなり優勝した尊富士にしても来月には25歳。つまり、大学なんかに行ってるうちに、旬の時期を逃してしまいました。その結果、大関になるころには下り坂で、てっぺんまで辿り着けないのが見えるような。朝乃山、正代、御嶽海がそんな感じですからね。
そもそも中卒と高卒と大卒とが混在してる業界ってのが珍しい。てか、ほかにないんじゃないですかねぇ、そういう社会。
相撲界では、番付こそが絶対で、先輩も後輩もない世界なんだけど、それは現役時代の話であって、その常識のまま親方になると、新たな価値観を前にして混乱します。
貴乃花や朝青龍や日馬富士、それに白鵬らは、土俵で無敵だった故にメチャクチャ嫌われていましたが、取り巻きのお世辞に守られていたので、そのことに気付いておらず、万能感を抱えたまま引退していきました。大人になってまで、ライダーキックをかましているような、そんなイメージです。
同じく中卒の北勝海はバランス感覚に長けていて、周囲への目配りを怠らず、理事長まで上り詰めます。
だけど、偉くなればなるほど、学歴のハンデを感じるようになる。それは、周りがじゃなくて、自分がなんですけどね。学歴ってのは、引退後に人間関係で役に立つってこと、世界の広がりが違うのを身に沁みたりします。
そして、モンゴル人との明らかな価値観の違い。だけど、コンプライアンス攻撃によって、軽々しく物が言えません。
いやいや、学歴が大事だと言ってるんじゃありません。出自が違いすぎる人が集まると、立場の違いが複雑すぎて、判断が難しくなるってことなんです。
引退後の生活を考えると、受け皿が少な過ぎて、大学へ行っちゃったりするのかなぁ? それだったら日大へっていうのも分からなくはない⁉︎