プロ野球のキャッチャーが一人前に育つまでには、時間がかかります。
打って走って投げる以外に覚えなきゃならないことが、たくさんあるからです。
その代わり、一度ポジションを掴み取ると、長く務め上げることができます。
野村克也を筆頭に、谷繁元信、古田敦也、伊東勤、阿部慎之介など、息の長いプレーヤーが思い浮かびます。
その中で、唯一の大リーガーがダイエーの黄金時代を支えた城島健司です。投手との密なコミュニケーションが求められるポジションなので、英語が堪能でないと難しいと思われましたが、そもそもジョージ・マッケンジーですからねぇ。意識の底に潜在的な願望が、あったと思いますよ、城島健司。
彼がまだ二軍選手のころ、若菜嘉晴コーチと運命的な出会いを果たします。
技術的なアドバイスもさることながら、若菜コーチはこんな話をします。
「練習は何もグラウンドだけで行うものではない。街に出かけたときだってヒントがたくさん転がっている。例えば、横断歩道で信号待ちをしているときに、前にいる人がどの方向へ行くのかは、注意深く見ていれば分かるんだ。重心のかけ方が違う」「例えば、キレイな人はブティックに入ろうとするし、太った人は飲食店に入る。観察する習慣をつけると、投手の心理も理解できるようになる」
その教えを実行すると、次第に打者のクセや狙いダマが分かり始めたというから面白い。一流へのステップをどんどん昇りつめていきました。
素直な気持ちが才能だというエピソードですが、もう一つ。そういう師匠との出逢いが、化学変化を生んだと言えるでしょう。
教育の世界では、これを『適性処遇交互作用』といいます。
これは、学習者の学習スタイルと教師の指導方法の組合せで教育効果に差が出るという理論で、相性が大事だってことです。
2001年以降、若菜コーチは解説者に成り下がって(?)しまいました。
一言居士で、上層部にズケズケものを言うため難しいんだろうけど、教える引き出しが多い職人気質は貴重な存在です。
放っておくのはもったいないんだなぁ。