東野圭吾という人は、当代一のミステリー作家で、作品のクォリティーもさることながら、次から次へと繰り出す量の面においても圧倒的です。
その販売促進を支えているのは、ドラマや映画による相乗効果だと睨んでいます。
ほとんどの作品が、出版されると間もなく、映像化されるのは何故でしょうか?
どうも、作者の頭の中には、登場人物それぞれのモデルがあって、ある程度自由に動かさせているような、そんな気がしています。
福山雅治とか阿部寛とかが先にあって、キャラクターを創り出しているようなイメージ。構想の段階で、放送関係者の意見を採り入れてたりしてるのかも。日曜夜にTBSで放映中の『危険なビーナス』を観た後で、小説を読むと、一層その考えが強まりました。
昔、角川映画が「読んでから見るか、見てから読むか」なんてキャッチコピーを使っていたけど、映像との親和性が東野作品の真骨頂と言えるでしょう。
他の作家に比べ、美人や二枚目が多く登場するってのもそういうこと。配役が先にありきです。
そう考えると…いやぁ、実に面白い。
で、肝心のストーリーですが、これはもう非現実的過ぎて、ついていけませんでした。
麻薬捜査や暴力団相手ならいざ知らず、警察がそんなに柔軟だったら、むしろ怖いよとそんな感じ。
これは、60点。
小説といえども、リアリティーは優先します、私の場合は。