8/9のブログで、真打の後に出てくる前座みたいな位置付けだと言ってごめんなさい。
パラリンピックの開会式は、けばけばしさを排除した、質素ながら一貫したストーリー性があって、カッコよくかつ厳かで、感動的でした。
コロナのせいで、大がかりなイベントに飢えていたこともあって、興奮が倍化しています。
こんなにたくさんの車椅子を見たことがありませんし、障害を抱えた人たちもしかり。
ひと昔前は、そういう人がいないがごとく、別の次元で隔離されていたようなところがありました。きっと、数的な比率も低かったんでしょう。若い人が多いほど、その存在が目立たなかったような気がしますから。
しかしながら、式典を見ながら改めて思ったのは、障害者の存在から目を背けることなく、しっかり向き合わなければいけないってこと。
障害はアンタッチャブルなものではなくて、個性として受け止めるのが大事だとも。
翼をあげるってわけにはいかないけれど、困っている外国人にタクシー代を渡すぐらいの気持ちは持っていたいものです。