2004年8月、ジャイアンツは球団代表として讀賣新聞の辣腕記者である清武英利を起用しています。
彼は、FAでの移籍や外国人選手の登用で、チーム生え抜き選手が育っていないことに危機感を抱き、広島カープを手本として育成選手制度の導入に踏み切りました。
その結果、山口鉄也投手や松本哲也外野手が新人王に輝いたことは、記憶に新しいところです。
それまでの球団首脳は本社から出向のお飾り的な人事が多く、オーナーのおもちゃみたいなところがあって、存在感がないことがいいことであるかのように捉えられていました。
だから、周囲からは球界に対して積極的に物申す姿勢を好意的に受け止められ、本人も調子に乗ったようなところもないとは言えません。
こともあろうに讀賣新聞社の天皇であるナベツネが、予め球団が決定し承認したコーチ人事に対して、頭越しに覆したことは重大なコンプライアンス違反であると、正義の味方気取りで告発したのです。
こういうの、フィクションの世界では拍手喝采なんですけど、相手が強過ぎた。
信じられないくらいの高明な弁護士軍団を組織され、全くもって主張を受け入れられず、解任の憂き目に遭いました。
以降、ジャイアンツは育成制度から撤退し、再びトレードや外国人選手に頼るようになっています。
今季の体たらくは、計画性のないダブついた高年俸の寄せ集めによる副作用で、チームの体制がバラバラになったことによるものです。
清武氏の思いを聞いてみたいところではあります。
(つづく)