将棋史に残る数々の記録を打ち立てた大山康晴十五世名人は、対局中以外で相手棋士にプレッシャーを与える策士としても知られていました。
勝負師としてのみならず連盟会長でもあったので、その影響力は絶大で、マスコミをも味方につけながら、その言動で揺さぶっていたのは誰もが知るところです。そういうのも含めて、闘いであると考えられていました。
それって、結構感じ悪い。心理的な圧迫を与えるため、マウントを取るような言葉の強さは、決して品格のあるものではありません。
だけど、そういうもんだと思われていたのです。負けると悔しいでしょう。だから、勝つためになんだってしようとする。子どもの発想です。
なので、ひと昔前の将棋界は好き嫌いが当たり前で、プロレスっぽい挑発的な行為、例えば席次が違うとか、エアコンを止めろとか、使用する駒が気に入らないとか、我を通そうとする棋士が多く、幼児性が抜けきらないのは世間知らずだから仕方ないと、特別扱いされていました。
相手を動揺させるために、突然剃髪して坊主になって、タイトル戦に挑んだ棋士もいます。それが番外戦。
かく言う私も、実戦中にやってました。
例えば、大きく首を傾げたり、ため息をついたり、薄くほくそ笑んだり、よそ見をしたり。
相手の感情を刺激するのですが、これが結構効くもので、こちらが失敗したと思わせたり、早く指せと圧力をかけたり、イライラさせたりと平常心を奪い取っていくのです。下品だねぇ。
そういうのが持ち時間の短い高校将棋では極めて有効で、勝ちまくっておりました。高校棋界では、それなりに名を知られた存在だったのです。
ところが、大学入学と同時に全く勝てなくなりました。
持ち時間の長い将棋になって、小手先のテクニックが通用しなくなり、逆に自分の方がイライラするようになったのです。
腰を据えて長時間考えるのが苦手でして、それは授業をほとんどうわの空で聞いてきたツケでもあったように思います。
(つづく)