都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

誰が国語力を殺すのか①

小学校四年生の国語教科書の一つに児童文学の『ごんぎつね』(新美南吉著)が掲載されているといいます。

ごんという名前のいたずら好きのキツネが、兵十という村人の獲ったサカナを逃してしまう。しばらくして兵十の家で彼の母親の葬儀が行われていた。そこで、ごんは兵十がサカナを獲っていたのは、病気の母親に食べさせるためだったと気付かされる。ごんは反省し、罪滅ぼしのため、兵十の家へ毎日のように内緒で栗や松茸を届けるようになる。ある日、兵十は自分の家にごんが忍び込んでいるのを見つけ、銃で撃ち殺す。だが、土間に栗が置かれているのを見て、これまで食べ物を運んでいたのがごんだったと気付き、茫然と立ち尽くす。そんな内容です。

ある小学校の授業で、この話を題材として取り上げていました。ごんが兵十の母親の葬儀に村人たちが集まって、通夜ぶるまいの準備をしていた場面です。こんな風に描写されていたのです。

「よそ行きの着物を着て、腰に手ぬぐいを下げたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きな鍋の中では、何かぐずぐず煮えていました」

教員は、生徒たちに「鍋で何を煮ていたのか?」を話し合わせたところ、通夜ぶるまいに考えが及ばず、「死体を消毒している」とか「死体を煮て溶かしている」と真顔で答えたと。

『誰が国語力を殺すのか』(石井光太著・文藝春秋)は、こんなエピソードから始まります。

そして、子供たちの読解力が低下している事実は否めず、物事を感じたり、想像したりする力が抜け落ちているのだとも。

筆者は、「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つを合わせて「国語力」だと定義し、国語力を高めることこそがより良く生きる力を育むのだと断言していました。

今、小学校の教育カテゴリーは、「プログラミング教育」「主権者教育」「防災安全教育」「消費者教育」「英語教育」などが加わって、広く浅く教えるようになり、相対的に「国語学習」の時間が削られているといいます。つまり、基礎が育っていない上に、どんどん積み込んでいるのが現状なのです。

(つづく)