そういう人は珍しいと思うんだけど、私は小学校一年生のとき、一学期二学期三学期と転校を繰り返し、それぞれ違う学校に通いました。
広島→鵜の木(大田区)→つつじヶ丘(三鷹市)と、変わったのですが、まず戸惑ったのが言葉の問題です。広島弁は、独特ですからね。いや、意外にも三鷹の子供たちもヘンで、自分のことをオイラなんて言ってました。場所によって、違う言語だってのは衝撃です。もしかしたら、この頃に言語脳が発達したかもしれません。アクセントに敏感になりました。
もうひとつ。
小学校の教科書は、教育委員会単位で決められていて、なぜだか知りませんが、学校が変わるたびに発行元さえ全然違う本を与えられます。
つまり、私は贅沢にも一年生の教科書を三種類、手にしていたのです。
教科書って、大事なことが凝縮されていますからね。特に、国語の教科書はエッセンスの塊です。転校が続いて引きこもりがちであった私は、これを真面目に読み続けました。娯楽の少ない時代、絵本やアニメの代わりです。これも、言語脳強化に役だったかも。
実は私、中高大と通った十年間、ほとんどの授業がうわの空で別のことを考えていましたが、国語だけは成績が良かったのです。
それは、国語の授業ってのが、誰かに教わるものじゃなかったからではないかと思ったりします。
何かを読んでどう感じたかは、人それぞれだからです。
つまり、国語とは、自分で入り込んでいくもので、教えられてどうなるもんでもないと。そんな気がしています。
(つづく)