そんなに興味があるわけじゃないんだけど、全く話が通じないのもイヤなので、たまーに歴史関連のドラマやバラエティ番組を見たりします。
BSテレ東の『偉人・敗北からの教訓』では、やたらと戦国時代周辺を取り上げていて、全然知らないことよりも、そこそこ知識があることの方が、好奇心が湧くものだと改めて納得しております。
そこで、ふと疑問に思ったのは、ナビのない時代に、地理的な位置関係をどうやって掴んでいたかってことです。
伊能忠敬は、江戸後期の人ですし、それより前の人は、京都ってどこだって話ですよね。
調べますと、日本で最初に作成された地図として記録が残っているのは、大化の改新(645年)で土地の測量を行なった時の田や国有地を記したといわれる「田図(でんず)」だといわれているようです。班田収授法、うっすら記憶しています。具体的な長さとか大きさが注目されました。
平安時代になると、「行基図」と呼ばれる筆で書いた日本地図が作られています。行基は奈良時代の僧で、全国を回って地域の開発に尽くした人だといわれていますが、この「行基図」は正確な測量に基づいたものではなく、日本列島の形や国の形も非常に大ざっぱでした。それでも、それぞれの国の位置関係がわかるだけでなく、一目で日本のどの辺りにあるのかがわかる大変貴重な情報で、江戸時代初期まで何枚も作られていたといいます。なるほど、それ欲しいわ。いくらだろう?
頼朝なんかも使っていたんでしょうね。いや、武将はみんな持っていた。
地点間の距離は、時代が進むにつれ、どんどん正解に近づいていったことでありましょう。
だけど、地形については、西洋の文明スパイスが加わるまで、長い時間が経過しました。
そして、伊能忠敬が登場します。
彼は、天文学や測量術を学ぶうちに地球の大きさを測りたくなったといいます。 そのためには、距離を正確に計測する必要がある。 そこで、海岸線を実際に歩いて測定し、南北の距離を算出しました。こうして日本最初の科学的で正確な地図ができあがったといいます。なるほどねぇ。
ちなみに彼が測量にかけた日数は3736日、歩いた距離は約4万キロ(なんと地球一周の長さ!)と言われています。
作家の井上ひさしは、56歳から一念発起して、日本中を測量した伊能忠敬の伝記を残しています。その本のタイトルは『四千万歩の男』(講談社文庫)。井上ひさしはコピーライターの才能にも溢れていたのであります。