都会のネズミと田舎のネズミ

時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。

竜王戦

プロ野球の日本シリーズは、地上波テレビの中継がないというのが話題でしたが、将棋の場合、名人戦竜王戦について、BSで実況中継があります。
これが、新聞社の都合なんでしょうか、週半ばにスケジュールされることが多く、木曜定休の私は厚狭からテレビとネットで楽しんでいます。
将棋の場合、野球と違って、ハッキリした形で展開が見えるため、ここでは解説者の存在が重要です。


昔、阪田三吉という将棋指しがいました。
村田英雄の『王将』で有名ですね。
宵越しの金を持たない破天荒ぶりは、エピソードに事欠かない愛されるキャラクター。
ただし、字が読めないとか組織に属することをよしとしないなど、常人には奇行と映るような言動があり、そのイメージが将棋は囲碁よりも格が落ちるとされた遠因になっているように思います。
そうした雰囲気は、升田幸三に引き継がれ、なんとなく汚っぽい、オシャレから程遠いイメージがまとわりついていました。
この世界、オンナっ気がないから、どうしようもないんです。色気がない。

そういえば、私が大学の将棋部だったとき、部室に将棋を教えて欲しいと初めて女性がやってきたときのことです。
舞い上がった先輩が、駒の動かし方を丁寧に説明していました。
そして、桂馬の動きを解説します。

  「この駒は、ちょっと変わっていて、ひとつ前のさらに斜め前に飛べるんです。こうやって、金将が  二枚いるところへ両取りをかける。これを“桂馬のふんどし”と言います」

ギャグのつもりらしいのですが、自分で言って引き笑いするそれは、どう見ても変態行為にしか見えませんでした。案の定、その娘は二度と部室に現れず、その先輩は「ふんどし」と呼ばれるようになりました。
免疫がないって、そういうことなんですね。
経験を積まないと、会話が磨かれないということ。
将棋界が垢抜けないのは、そういうところに大きな原因があったように思います。

このイメージが大きく変わったのは、元竜王島朗九段の登場によるものです。
今をときめく羽生名人・森内元名人・佐藤元名人らが十代のころ、原石の光を感じたのでしょう。
四人による勉強会、通称『島研』を立ち上げました。
将棋指しは、所詮、みんなライバルであり、研究というものは一人で行うか、せいぜい幼いころから気心の知れている一門同士で行うというのが関の山でした。
しかしながら、島九段は過去の因習に囚われません。
タイトル戦へは歴史上初めて、羽織ではなく、アルマーニのスーツを着て現れました。
さらに、その前夜祭で花束贈呈のセレモニーに立ち会ったミス川崎を速攻で攻略。
タイトル戦を戦いながら、結婚を決めてしまう(タイトルは4対0のストレートで奪取)という貪欲さを見せ、若手棋士に身をもって範を示したのです。
そして、弟子にするのは女性棋士ばかり。
こうして、若手の将棋指しはオシャレに気を遣うようになりました。


将棋のテレビ中継が可能となったのは、多チャンネル化と聞き役としての女性棋士の存在です。
時代は大きく変わったのであります。
テレビ中継ねぇ。