都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

ユーティリティープレイヤー

最初の学園生活(?)は、広島の比治山のふもとにある『安芸幼稚園』でした。
私の子供のころの記憶は、このあたりから始まっています。
防空壕跡みたいなところで、「探検だ」と言いながら、よく遊んでいました。
“ひとさらい”に気をつけなさいという母のアドバイスがあったように思います??


当時、父がスポーツアナをしていた関係で、広島市民球場によく連れていかれました。
ゆる~い時代ですから、関係者ってことでタダだったんでしょう。だから、しょっちゅう。
ルールなんか、よく分からないけれど、野球観戦です。ホントは、そこで食べるお弁当が嬉しかったと思います。それと、カクテル光線。今よりは、ずっと暗かったけれど、それでも縁日みたいで楽しい。二軍の選手は、お金がないから我が家で飲んでいました。ウチも貧乏だったので、外では飲まない。ハムやチーズをつまみにトリスをちびちびやっていたのを何となく覚えています。私の“三丁目の夕日”です。


したがいまして、私は当然にカープファン、しかも熱狂的です。
チームを応援するのはもちろんですが、出て行った選手も応援します。
金本・新井・小山田・森笠・福地・佐竹・フィリップス・菊地原・ラロッカ山崎浩

そして、木村拓也

プロへは1991年、日ハムに入団。キャッチャーとして始まりながらも、その後、強肩と俊足を買われて外野へコンバートされました。カープへ移ってから、内野手と左打ちに挑戦し、見事に花が開きます。こういう選手は珍しい。つまり、多機能であることを“売り”にしたこと。初めから一つのポジションや右打席にこだわっていたら、ブレイクはなかったかもしれません。身体も173センチと小さいし、何よりドラフト外での入団でしたからね。

器用さを評価されて、アテネ五輪の日本代表にも選ばれています。
足が速くて、バントも上手い。頼まれてイヤだと言わないいい選手だったなぁ。
マツダスタジアムで倒れたというのも何か因縁めいたものを感じます。

本日3時22分、クモ膜下出血にて死去。享年37歳とのこと。合掌。