都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

ボラボラ①

保険会社勤務時代、社長の肝煎りで「構造改革委員会」というのが立ち上がり、当時広報担当であった私はその事務局となって、21世紀に向けてのビジョンを作成しておりました。その際、会社設立20年を機に世の中に対しても責任を持とうと「社会貢献セクション」を新設するプランがまとまったのです。

  なんか、面白そうだな

飽きっぽい私は、組織が新しくなるとワクワクします。
上司にお願いして、新設部門に異動させてもらいました。
そのとき、企画部からの提示は『社会貢献活動推進課』の部門名でしたが、自分たちの仕事を社会貢献だと言い切ってしまうのはおこがましいと『社会公共活動推進課』への名称変更を提案。10秒で、受け入れてもらいました。
柔軟な会社です。
1995年1月、新しいセクションがスタートしました。

新組織は、他社の動向を知ることから始まります。
バブル後ではありましたが、それでも社会が成熟しており、大きな企業は『社会貢献』に強い関心を寄せるような流れになっていたのです。
そういうのもアメリカの影響なんでしょうね。フィランソロフィーとか尊敬される会社とかが流行りの言葉で、そこに力を入れるかで、企業の胆力が試されていたようにも思います。

そして1月17日、日本中が引っくり返るような事件が起きました。

  阪神・淡路大震災です

当時は、通勤のため、5時半には起きていたので、ハッキリ覚えておりますが、東京都多摩市のマンション14階の自宅で、ドーンという地鳴りのような鈍い振動を感じたのです。そのときは、どこかで大きな地震でもあったのだろうと捉えておりましたが、まさかあんなにスゴいことになっていたとは…
新聞を読み漁って、社内に向けてのメッセージを模索しておりました。
新設部門ですからね。何かやらなきゃいけないんだけど。
この震災から10日ほどして、社長から内線電話がかかってきました。

  「ワカバヤシさん、どうしてそこにいるんですか?」
    「……」

会社にいないのならともかく、いることを否定されるなんて…
いえ、社長からすれば、こんな大事件が起きたにも関わらず、企業の窓口が何の動きも見せていないのは、けしからんということでした。
んなこと言われたって、被災地に出かけたところで何が出来るわけでもないし…だけど、社長が直接答えを求めてきたし…

上司には適当に答えておけと言われたものの、困り果てた真面目(?)な私は、二年前まで所属していた山口県・徳山JCの仲間に情報交換のつもりで連絡を取りました。
そのときの私の頭には、ボランティアといえばJC(青年会議所)でしたから。
すると、近々有志が被災地へ炊き出しに向かうとのこと。
早速、メンバーに加えてもらいました。

(つづく)