都会のネズミと田舎のネズミ

読書ネタ、スポーツネタ、お笑いネタ、時事ネタを拾いながら、笑いの方向へと導きます。3打数1安打を目指しています。ハズレよりもアタリを読んでください。

一期一会

1987年 京都・五条の町中に茶会への参加を募る立札が、あちこちにに立てられたといいます。

茶の湯執心の者は武士・町人・農民を問わず

服装・履物一切不問 茶道具一つ持参すればよし 無ければ替わるものを

座敷は二畳敷き 畳の無い者は筵でも構わず」

これが世に言う北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)です。

九州平定を果たした豊臣秀吉が、自己の権威を示すために行なったイベントで、テーマは「一座同座」。茶の湯で平和な世をもたらしたい千利休と自らの政治信条を訴えたい秀吉の二人の思惑が重なり合ったものと言われています。

「派手なものだけが美ではない」

「質素なものにも美が宿っている」

こういう美の感覚は日本独特のもの、いわゆる「侘び寂び」の精神です。

手元不如意のうらぶれて将来を見失うような人のことを侘びと呼んでいましたが、その手元不如意を善しとしたのが利休であり、その考えを最大に評価したのが秀吉でありました。なぜなら、秀吉こそが侘びの出身であったからです。

高尚な趣味であるお茶を通して、自らのコンプレックスを解消しようとしたってこと、実に面白い話だと思います。

 

茶道において釜をかけて湯を沸かす道具が風炉(ふろ)であるので、語呂合わせで2月6日を「抹茶の日」としたんだそうです。

千利休は、茶会に臨む際、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えでいなさいとして「一期一会」の名言を残したとされています。これは「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ない、たった一度きりのもの。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、転じて「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と言う意味で使われるようになりました。

確かに…。来年もまた、美味しいイチゴが食べられるんだろうか?と思ってしまいます⁉︎