最近のミステリー小説を読んでいて、怖いなと思うのは、犯罪の科学捜査が進んで犯人側がかなり劣勢に追い込まれていることです。
逆に言えば、警察側の権力が増大化しているということ。
そこらじゅうにカメラが仕込んであるし、車のナンバー追跡だってそう。人物が特定されると、逃げられるものじゃない。
刑事の勘のような、心理描写が脇に追いやられているような気がします。
そういう意味では、時代を遡ったほうが面白みがあります。
今では、パターン化された犯罪も、それが出始めた当初は、対応マニュアルのようなものもなく、あたふたしたところにリアリティがある、そういうことです。
でもって、今年度ナンバーワンともいえる『罪の轍』(奥田英朗著・新潮社)は、昭和38年の浅草が舞台。家庭電話の普及によって始まった(?)幼児誘拐をめぐるストーリーです。
この中で、刑事の「誘拐事件が怖いのは、犯人も慣れていないってことだ。常習犯はいない。だから怖いんだ」のセリフに、いろんなものが詰まっています。なるほどねぇ。
犯罪検挙率、縄張り意識、非合法組織との向き合い方、マスコミの在り方、人権派を称する弁護士、前科者の生きる道…まぁ、たくさん詰まっていて、とにかく面白いです。
なんでしょうね、『砂の器』にも通じるような読後感。
この作者は、人間を描くのが、とてもうまいと思いました。